2011年3月12日を振り返る(2)
さて、宿に戻って帰宅準備です。
温泉街は一見すると平穏です。宮城の至近距離にありながら、これだけで済んでいるエリアってのは珍しかったでしょうね。
宿は、夜間に温水供給用の配管が地震で破損したり、展示物であるこけしが全て倒れてしまったり、揺れが激しくて客室内の金庫の蓋が開きっぱなしになっていたりしました。
本来はないはずの昼食をいただきました。単なるうどんですが、物資、燃料が不足する中では大変ありがたいものです。おいしくいただきました。
併せて、新聞を見せてもらいました・・・絶句
宿の人に感謝しつつ、帰宅します。
バスは補助席まで使い満席での移動です。(15:19)
蔵王の山を下りて、上山を通るあたりから電気が回復してきていました。徐々に情報が入ってきます。
途中の道の駅で、初めてテレビを見ます。しばし絶句・・・(16:52) 姉から電話がかかってきました。丁度、原発が爆発したというニュースが来ていたのでした。
再び、バスに戻り・・・
福島方面行くのはイヤだなーと思っていたら、米沢の手前で新潟方面に方向を変えました。どうやら、前日のバスは東北道で大渋滞に巻き込まれ、到着が深夜の3時過ぎになったらしく、それを避けるために新潟経由になったらしい。
関越道に入り、サービスエリアでモスバーガーを見つけて、食事。(19:08)
高速道路で、この暗さはびっくりです。電気は一部しかついていません。
最後の上里サービスエリアで休憩。ここも普段はもっと明るいところなんですけどね、、
再びテレビを見て、唖然・・・(21:35)
人のいないサービスエリアで唖然としながら、帰路へ・・・
結局、新宿西口に11時半に着き、実家のある永福町には12時ごろ帰宅できました。 新幹線で3時間のところをバスで新潟経由して8時間かかったわけですが、あの当時の状況からすると、これは最善の手段だったと思います。山形空港から伊丹を経由して東京に帰った人とか、数日かかったらしいですし。
どうも悪運だけは強いようで、このような大きな災害にあっても、ほぼスケジュール通りに帰ることができました。これは同じくアメリカのシアトルで経験した9.11でも同じでした。
3.11だけでなく、9.11も経験した者としては、こういった事件・災害はどうしても他人事には思えないのですが、何とかギリギリでかわすことができています。とはいえ、今度こそは何が起きるか分かりませんね・・・
実は、この後、4月に酸ヶ湯温泉に行きました。そのときは、大震災後の最大の余震に遭い、再び東北は大停電に見舞われました。なんとも、運が悪いのか、悪運だけ強いのか、複雑な心境です。
(終)